本丸より (37)

 

 

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iTrulli

 

      

           

 

 

どうしようもない、ということがある。

距離は、それが人であれ、場所であれ、離れていればいるほど、近くに戻りたいという感情に変化しては、どうしようもない気持ちにさせることが多々ある。

わたしは長い間ニューヨーク、それもマンハッタンという小さな島の中で暮らし続け、その間、日本を恋しいと思ったことはないけれども、日本の小さな美点や日本のモノには、日本にいる間には感じなかった愛着を持ったもので、それなのに、一旦、日本に帰ってみると、そんな美点や愛着のことなど忘れてしまい、ただひたすらに、狂おしいばかりに、ニューヨークに戻りたいという気持ちで体がいっぱいになってしまう。

ところが、今度はそんな恋しいニューヨークに戻って安心し、これからずっとここにいるのかと思うと、その途端に、また日本の「日本らしさ」が愛おしく、また、貴重なもののように感じ始める。

結局、わたしは心休まる場所が一体どこなのかわからないまま、行ったり来たりをくり返す。

人も同じ。

すぐに手が届く距離にいる間は気付かない大切さを、離れてみて初めて思い知ることになる。

失って初めて知る不在のせつなさ。

どちらも本当は好きじゃない。
ニューヨークにいながら日本を想うことも、日本に居ながらニューヨークを恋しがることも、両方、絶えられないほどこころの重荷になる。

体がどこにあっても、気持ちはふらふらと落ち着く場所がわからなくて、大平洋のまん中あたりに浮かんでいるような、そんな不安感が続く。

帰る場所があるうちはまだいいのだと、言われるまでもなく、自覚している。
帰る場所がなくなった時、私はどこにいるのだろう。
そう思うと、その時が来たら、わたしは本当にどこでどうしているのが一番いいのか判断できなくなってしまう。

何も失うことなどなければいいのに。
そうどんなに願ったとしても、時間は容赦なく前へ、前へと進み、「その時」がくることを沈黙の中に鮮やかに見せつける。

時間にだけは、放っておいてと、言えないことが、また一層、苦悩を深める。

Please stay....

  

 

 

 

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